本を読む

私は本を読む習慣がなくてヤバいと思ったので今月から月一冊必ず本を読み切るという目標を掲げた。ヤバいというのは具体的に、読解力の低さ、知らない漢字や文字、言葉に触れる経験の低さ、そして何より視野の狭さが自分の課題になっていると考えたからだ。

 

今月呼んだのは市川沙央さんのハンチバック。昨年大変話題になった作品で、当時から読みたいと思っていたのだがなかなか時間を作れず、今月頭やっと読むことができた。本の内容については今回は触れないでおくが、見たことがない難しい漢字がたくさん出てきて読めなくて、つい読み飛ばしてしまう。悪い癖だ。電子書籍は読めない漢字があったとき、長押しをしてコピーして検索窓に貼り付ければすぐに意味を調べられる。これはとてもすごいことだ。

 

ハンチバックには紙の本が良いという文化人のマチズモに対して批判をするシーンがある。これはとても皮肉だが、私は衝動的になって本屋に走り紙の本のハンチバックを買ってしまったため、難しい漢字が出てきた際に速攻調べるということができなかった。知らないものを知らないままなあなあにして、後から調べるということもしていない現状、これはあまりよくない。

 

あとで文中に出てきた知らない言葉をリストアップして漢字と意味を調べる。頑張りたい。これをしなければ、本当の意味で本を読んだことにならない気がする。たとえば、「ひとり」という言葉を「一人」と表すか「独り」と表すか、はたまたそれ以外の表現にするか。ここに作家の作家性というものが滲み出ると感じる。ひらがな、カタカナ、漢字、それらを使い分けることで柔らかさを表現するのか鋭さを表現するのか、私はその微細な違いをずっと見逃したくない。その細やかさが一番作家の、作品の、本質的であろう。

 

来月は柚木麻子さんの小説が読みたい。柚木麻子さんのことは、Y2K新書というTBSポッドキャストを聞いて初めて知った。小説を書いているということも知らず、そして口を開けばこんなに面白くて気さくな方だとも知らなかった。少し前に図書館で柚木麻子さんの小説、本屋さんのダイアナを読んだ。時間的な問題で冒頭数ページしか読めなかったのだがとても私好みの作品だと感激したので来月は本屋さんのダイアナを読みたい、もしくはBUTTERを読みたい。

はじめに

あと数週間で21歳になる。年齢なんて記号に過ぎないと思っているが、20歳もあと数週間で終わるのか〜なにもしてこなかったな〜と思いふとブログを始めることにした。ブログを書くこと、というか文章を書くことが好きで、中でも特に自分の関心がある話題についてや自分について書くことがとても好きだ。私は元々自己主張を強く行えるような性格ではないため、気が付いたら忘れられているような存在だが、自分が生きていたということを私だけは忘れないようにしようと思ったのでブログを書くことにする。

 

人生経験も浅く、そもそもまだ20年しか生きてこなかった私にとっては、すべての事象に対して遅れを取っていると感じざるを得ない昨今である。Twitter(現X)やTikTokで実家が太くて高学歴でかわいい同世代の人たちを見ていると自分はなんて愚かで無力で何も無い人間なんだろうと思う。いずれかしっかりと書くと思うが、私は家庭環境に恵まれなかったため、ろくに教育も受けられず、大人になった今やっと学び直しをしている。最近は中学英語から学び直しており、とても楽しいと感じている。(メモ 最近学びたいことは男性学 トランスジェンダーについて)

 

ネチケット、いわゆるネチケが守れるインターネット古参オタクしかいなかったあの頃とは違い、誰でも簡単にアクセスが可能になった現代のインターネットは地獄である。好きなポッドキャスト番組のパーソナリティは今のTwitterをヤフコメのようと例えていた。相手の発言の揚げ足を取り言いがかりをつけ知識マウントを仰々と晒していく、自分よりも圧倒的に年の離れた世代であろうユーザーを見ていると、こんな意地悪い人間にはなりたくね〜と思うが、一方その頃現代のインターネットは地獄とか言っている時点で私も同義、ソフト老害とかいうやつだろう。人は過去に縋ると老害になってしまうのだろうか。

 

すごく好きな作家さんが若い人は何者かになるよりもいま目の前にある勉強をした方がいいというようなことを仰っていた。30歳になった時にやっと行きたい大学がなにか(おそらく具体的な学校や学部、学びたいことなどが)分かった。自分は20歳頃に売れ若き天才と呼ばれてもてはやされてきてしまった。と仰っていた。衝撃だった。私は今(20歳)煽てられたら調子に乗ってそのまま歳を取り、10年後も調子に乗っていそう。今目の前にあることに目を向け、今よりもより良い未来をどう構築していくか。

 

自分たち一人一人の生活がすべて政治と繋がっているということ、17歳くらいの時に誰か教えてほしかった。今日もまた遅れを取っているなと感じながら勉強をする。新しい学びや発見、今の課題についてどう向き合うか。私が生きてきたどうしても報われなかった家庭環境とか、私に暴力を振るってきた父親の孤独とか、今まで声を挙げてくれなかった大人、行政、社会、福祉、学校、教師、それらすべてのひとたちの責任でもあるだろう。人は一対一になると相手の問題は私の問題ではないから私は関係ない、と関与しようとしない。それは人間関係おいては正しい線引きの仕方であると思う一方で、私はそれに潰されてきたと思ってしまう自分もいる。はたして10代の人生経験が浅いこどもが誰の手も借りずにひとりで安全な場所まで辿り着けるのだろうか。過去の自分にはそんな眼差しを向けている。

 

早く納得できる自分に追いつきたい。